主人公側や敵側の信条や善悪に対する考えなどについて考える回

2023/07/09

制作連載企画2023(ゲーム原案)

 前回の一番盛り上がるシーンをどんな感じにするか考える回の続きで、それぞれの陣営の判断や行動の核となる信条や善悪の対する基準などについてあれこれ考える回です。



善悪の判断は難しいもの


何が善で何が悪なのかという話になると大体の場合、善悪は立場によって変るという話も一緒になって言われるパターンが多いような気がします。
この例としてよく挙げられるのは、仮に戦争中のA国とB国があったとして、あるA国の兵士がB国の兵士を大量に殺害したとして、その殺した兵士はA国では英雄と呼ばれるのかもしれませんが、B国からしたら同胞を大量に殺した大悪党となるという話です。

これは戦争という特殊な例として、多くの人の日常や生活の場において接する善悪やその判断はどのようなものかを考えました。
自分もこれまでどのように判断してきたのかも含めて考えると、それは生まれながらにして。あるいは誰かに教わったり経験を通して。自身の心情や感覚を通してなど。それぞれの事柄から学んだり直観的に持っている善悪の判断基準というものがあるなと思いました。

また例えば人を殺す。暴力をふるう。物を破壊する、盗む。あるいは税金等を私的なことに使うなど誰の目から見ても明らかに悪とされる行為は犯罪と法律で明文化され定められています。
明文化されているこれは誰にでも確認することが出来るものですが、確認するまでもなく判断できるものともいえます。

では明文化されていないもの。法律での判断が難しいものについてはどのような判断基準があるのだろうか? またその基準によっては何か深刻な問題が起きないのだろうかという疑問が浮かびましたが、まさにピッタリの話題が先日見たタッカー・カールソンの動画の中にありました。

タッカーの『道徳的価値規範、タブーの重要性』という動画

動画後半部の引用です。

彼は仕事をクビになった。
彼の人生は、指の関節を鳴らしたことで破壊されたのです。

彼は、指の関節を鳴らすことが人種差別であることを知らなかったのです。
エマニュエル・カファティが指の関節を鳴らすまで誰も知らなかった。

犯罪に定義がない場合、誰にでも罪に問われる可能性がある。
そんな国ではリラックスすることも出来ません。
昔のシステムの方が良かった。

政府は法律に基づいて運営されていたし、無形の道徳的な恐怖はない。
政治家は、定義できないものを非難することはできなかった。

法規範は単純明快でした。

児童虐待は犯罪である。
流行に流されない意見を持つことは、犯罪ではありませんでした。

公共圏の外では、どの社会でもそうであるように、人々はほとんど自らを律し、その為にタブーを用いていました。
ルールが頻繁に変わるわけではないので、何が許されて何が許されていないか、わかっていたのです。

タブーは自然なものでした。

集団的な経験と本能、つまり人生において最も信頼できる二つのガイドから生まれたものです。
理由があって進化してきたのです。
今もそうです。

今、私たちの仕事は、それらを守ることです。
権力者たちからの絶え間ない非難にもかかわらず、です。

あなたは善悪の輪郭を理解している。
生まれながらにして知っているのだから、自分が嗅ぎ分けられるものまで彼らに説得されないように。
直観的な道徳心を理屈で否定されないように。

タブーにこだわるのは、自分の命がかかっているようなものだからです。

貴重なものとして、家宝のように大切に守る。
まさに、そういうものなのです。

動画元URL


タブーが武器化されている

昨今特にはこういった、何が正しく、何が良識的であるか。何が道徳的・人道的であるか。何がタブーであるかという法律にはなく(無理矢理法案を通すような場合は論外として)ごく一部の一方的な思想や信条だけで反対意見を批難・糾弾し封じ込めるような極端な論調や意見が主にメディアを中心に殊更に増えているように感じられます。

例えばある問題や判断に関して異論を唱えたり懐疑的な意見を発することは差別的である。非人道的であるといった具合に、タブーというものを相手をやり込める為の武器として利用する手法です。
こうして反対的な行動や意見を制限する方法は何か強要的な特性のある形を変えたファシズムのように見えます。
環境問題に関してもこの手の手法がよく見受けられます。

もし仮に自分の都合で、自分や自分の関係する狭い範囲の利益や欲求の為に他の誰かを食いものにするような悪事に対する感受性の低い悪党が何が正しく、何が良識的であるか。何が道徳的・人道的であるか。何がタブーであるかという善悪の基準を定めるとしたら、これまで守られてきた当たり前で、まともで健全な社会を形成してきた善悪の基準が打ち捨てられ待っているのは、何がタブーであるかを決める特定のもの達だけが聞こえがいいだけの美辞麗句を隠れ蓑にまっとうに生活しているだけの大多数の人達を食いものにする荒んだ地獄のような退廃的な社会となることは自明の理と思えます。

それがまさに今のアメリカでその問題が持ち込まれているというか、一部の心ある政治家が未然に防ごうとしたとしても、一部の政治家や官僚が率先して持ち込んでいる日本もまた同じ破滅的な道を辿り始めているように見えますが、これは多分昔からで単に今までは裏に隠れて見えなかっただけなようにも思えます。

似たものとしてコンプライアンスというものがありますが、コンプライアンスはより良い組織や社会。誰かの心を傷つけたりせず誰もが住みやすい環境を作る為の大事な要素だとは思いますがそういった目的ではなく、単に特定の範囲だけに都合のいい方便になり、その他大勢の人をコントロールする為に悪用されている現状はかなりまずいのではと危機感を感じます。

次回は


今回だけではこの項目についてまだまだ練り込みが足りないように感じましたので、次回は更に善と悪について考えていく回となる予定ですがまだ未定で、またネタ集めの回となるかまったく別の話題になるかもしれません。




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個人サークル「elh(エル)」及び所属制作サークル「future extra」にてオリジナルの電子書籍作品、ヴィジュアルノベル、RPGなどを作っています。 無料作品もありますのでお気軽にどうぞ。各作品の詳細及びダウンロードはelhのサイト及び各サイト様へのリンクにてご案内しております。 ハンドル名の由来は映画『2001年宇宙の旅』のHALプログラムを簡略化したものです。

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