ナルコスメキシコ編のシーズン1の佳境のシーンにも出てくる有名な児童文学作品『シャーロットのおくりもの』(Charlotte's Web)の映画版が今月ネトフリに新しく来たのでさっそく見てみました。本作及びナルコスのネタバレありますので、未視聴の方はご注意ください。
1952年出版の児童文学作品が原作
調べてみると、なんと今から70年くらい前に出版された児童文学作品とのことでした。
今回見たのはそれが原作となった映画版ですが、今見てもおそらく当時この本を読んだ人と同じように物語に引き込まれ、感動できたかと思いました。
というかむしろここまで長く読まれているというのは、原作の良さあってのことだと思います。
この映画版しか見ていないのであくまで映画版の感想になってしまいますがそれでも十分感動的で良い作品と感じました。
基本的に嫌な奴がいない
特に見ていてふと思ったのが安心して子供にも見せられる、丁寧な作りで色んな意味においていやらしさが一切ないというがあります。
例のひとつとしてはこういったお話にはよくある、いじめっ子や意地の悪い大人が一切出てこないというのも大きい気がします。
もちろん暴力や性的なものも一切無いです。
とはいっても多少癖のある動物キャラはいたりもしますが不快になるレベルのものではなく、ちゃんと愛嬌があったり親しみがあったりと結局どれも根は良い奴でした。
メインのキャラではありませんが中でも特に学校のドリアン先生が喋る言葉どれも含蓄があって名全部言では、と思えるほどの傑物でした。
やたらに現実的で娘(ファーン)の心配ばかりする母親とは対照的に、奇跡を信じる豊かな心の持ち主で、その母親から持ちかけらた相談もすべて御見通しと言った感じで、あっさり答えてしまいます。
変に説教くさかったり、はなからとりあおうともしなかったり、事務的だったりといったありがちな教師キャラとはまったく違う、あまり見ない珍しいタイプでした。
小さな村の小さな蜘蛛と子豚の友情が起こした、大きな奇跡
春生まれの豚が雪を見ることはない、と作中にありますが多くの人達や動物たちの協力によって、特に賢くて綴り上手な心やさしい蜘蛛のシャーロットのおかげで食肉にならずに済んだ子豚のウィルバーが友達の女の子、ファーンの家族とクリスマスを過ごすシーンがあります。
しかしシャーロットはすでに力尽き、命を落としているせいか、物悲しいシーンに見えます。
ここで思い出したのはナルコスメキシコ編でカマレナ捜査官の奥さんが寝しなにこの絵本を子供に読み聞かせていた台詞にもありましたが、この蜘蛛のシャーロットの功績は誰にも知られることはありませんでした、というのを思い出すとなんだかやりきれない気持ちになります。
子供を産んでシャーロットが力尽きた、まさに映画の後半のシーンにこんな心に響くナレーションが入ります。
一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったもので、この映画を見てから虫に対する考え方、見え方が少し変わりました。
蜘蛛は獲物の体液を吸うという不気味で悪いイメージだったけど、純粋で偏見の無い子豚のウィルバーが納屋に来たことにより、そこに住む動物達の友情が生まれ、やがて大きな奇跡を起こす。
その結果町に住む人々の意識まで変わる、というのは本当に感動的でした。
なんだか荒んだニュースやお話の多い昨今において本当に心が温かくなるような、良いお話でした。
もしこのお話と子供時代に出会っていたら、感受性やものの見え方が今とはちょっと違っていたのかなと思うと、悔しい気もします。
シャーロットは今も生きている
彼女を知る者の心にも 知らない者の心にも
サマセット群は変わった
ここが特別な町だと人々が気づき 自分たちも少し特別になったのだ
以前より少し優しく そして思慮深く……
一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったもので、この映画を見てから虫に対する考え方、見え方が少し変わりました。
蜘蛛は獲物の体液を吸うという不気味で悪いイメージだったけど、純粋で偏見の無い子豚のウィルバーが納屋に来たことにより、そこに住む動物達の友情が生まれ、やがて大きな奇跡を起こす。
その結果町に住む人々の意識まで変わる、というのは本当に感動的でした。
なんだか荒んだニュースやお話の多い昨今において本当に心が温かくなるような、良いお話でした。
もしこのお話と子供時代に出会っていたら、感受性やものの見え方が今とはちょっと違っていたのかなと思うと、悔しい気もします。