連載企画 第6回  ゲーム性にあった物語や設定を煮詰める

2023/03/09

制作連載企画2023(ゲーム原案)

前回はゲーム的な要素を考えたので今回はまた、一番最初の基礎となる物語や設定の部分について考えていく回です。ここが面白味に直結する肝要な部分な気がするので出来る限りきちんと考え決めていきたいところです。

まずはしっかりとテーマを決めてみる



若干今更感がありますが、このゲームの根底にある一本筋が通ったメインのテーマ及び考えを決めます。
ここをきちんと決めさえすれば後々色々な枝葉末節の要素を肉付けしてもぶれないので、出来る限り強固なものをしっかり固めておきたいと思います。

そこでこれはなかなか面白いものになりそうなテーマだと思っていたものがありました。
それは「嘘」です。

嘘と言っても実に様々な種類があって、人を騙す悪いものというが概ねのイメージですが、人が楽しむフィクションも嘘の一種と言えます。
このように単に嘘と言っても悪いもの一辺倒ではなく、不快な嘘もあるし愉快な嘘もあって、受け手も嘘と分かって楽しむフィクション作品は愉快な嘘と言えます。
何かしらのタネはあるんだろうけど、全くそれを悟られずに楽しむマジックショーやイリュージョン的な楽しく観客が騙されるものもこの範疇に入りそうです。
なぜこのテーマにしたかの理由は後の項目で書くことにします。

テーマをゲームに落とし込んでみる


次はその「嘘」というテーマをどういったゲーム性にするかというところですが、これはすぐに思い付きました。
というのも以前に嘘がばれる時、嘘が嘘と分かる時というのは一種のカタルシスがあるなと気が付いたことがあったからです。

例えば、今までずっと真実だと思っていたことがまったくの嘘だった時に人によっては「そうだったのか!」と目からうろこが落ちるように痛快に感じることがあるだろうからです。人によっては怒り出すこともあるかもしれませんが。

ずっと考えていた難解な問題が何かの拍子にふいに解けた時のような、目の前の霧がぱっと晴れるようにクリアになる感覚というのは、おそらく大体の人は良い気分になるかと思いますので、この感覚をうまくゲーム性に取り入れてみたいという感じです。

他にも、理由や根拠が不明瞭だったりなんだか一方ばかりに都合のいい答えを提示された時のような、本当にそれが正解なのだろうか? という座りの悪い感覚のもやもやした気持ちになることは日常において多々あるかと思います。

その何だか変だ。何かがおかしいと疑問を持つということは一種のストレス状態でもある訳で、それがぱっと解消される時のカタルシスの気持ち良さを、なかなか難しそうですが上手くゲーム的なものに取り入れたらいいなと考えています。また、嘘と似ていますが欺瞞を打ち破る痛快さに置き換えてもいいかと思います。

より具体的には

例えばステージ1では、現代の感覚からすると笑ってしまうような稚拙な嘘がまかり通っていますが、どんどんステージが進むごとにその嘘のレベルが上がっていくような形として、プレイヤーはシミュレーション的なリソース管理で世界の人々の認識・理解力を上げていく方式を思いつきました。

要は各ステージ(時代)ごとに設定された嘘や欺瞞により、敵勢力の影響力が人類全体に及んでいるところを、プレイヤー(主人公)側の采配によってうまく人々の意識・理解力が促すリソースを増やし、敵側の力及び影響力を削り取っていくようなイメージです。

子供が大人を騙すのが難しいパターンが多いように、いくら取り繕っても明らかに知識や経験の差がある海千山千の人を騙せるはことは出来ないことから、このような形が思いつきました。

人の理解力を高めるリソース(資源)を一体何にするかが悩ましいところですが、精神に関するものなので物質的なものというよりかは、目には見えない概念的なものの方がしっくりきそうです。

なんとなく今考えているのは、人それぞれの性格や趣向の種類や系統。影響力の多寡によって必要なリソースが変わる形で、レアな資源のもの程より高い効果が出せるという形です。

嘘というテーマがなぜしっくりきたのかの理由


最近やら昨年一年の世間の動きや出来事を通して感じたことはつくづく世界的に抱えている深刻な問題の原因というのは、嘘や欺瞞という言葉に集約されるなと痛感したことからです。

例えば環境問題を話し合う会議にプライベートジェットやヘリで向かうのは何の冗談だろうと思うばかりですが、そんな馬鹿げたところに喜んで参加するのはお察しの面子と企業で、その直後辺りから案の定おかしな昆虫食の動きが一斉に加速してるしで、こうしていよいよ食の自由と安全まで明確に脅かされ始めたということは、いよいよくるところまできたなと思わずにはいられません。

※注
<欧州食品安全機関の資料によればコオロギを食べることはかなりリスキーな行為ということが分かります。また2018年に日本の内閣府がこの資料を引用しコオロギ食におけるリスクの一覧を発表しています。長い人類史においてなぜコオロギは食べなかったのかを考えれば答えは明白ですね>

しょっちゅうあれが問題だ、これが問題と声高に騒ぎ立てる割に、その解決方法はいつも他力本願の人の力。人の財布頼みで主張する本人たちは身銭は切らないので、まずその有り余る私財をなげうって一定の効果を出してからようやく人の生み出したリソースである税金などを使うかどうか開かれた公平な場で検討するのが筋ではと思います。

そもそも人に押し付ける前にまず自ら範を示すという基本的なことすら理解していないのに、企業やメディアを使って無理やり押し通そうというのは余計に不信感を募らせるばかりになってしまうことも分かっていない辺りが相変わらず思慮が浅いというか何も考えてないんだなと思いました。このような信頼もなく支持もされていない勘違いした集団自体をどうにか解決するほうがよっぽど持続可能な社会が出来そうです。

これだけでなく他にも、誰かを助けようという良心が良心として機能しない。今まさに助けを求めている人たちがよそからお金をひっぱってくる為のダシにされる。
こういった人の良心と人の不幸を同時に食いものにするようなものがまかり通る世の中なんだからそりゃあ世の中が良くなる訳がないよなと思うのと同時に、もし地球に人格があったとしたら真っ先に排除するのはこういうものではないかなと思ったのが大まかな理由です。

これらは共に善人のふりをした悪党。一見正しいことや良いことをしているように見せかけ悪事を成すという部分が共通しているので、よくよくやっていることや発言を観察すれば分かることですが、よくよく見極めないと良かれと思ってやったこと。困っている人の為にとやったことが、結果悪事を余計に助長してしまうことばかりなので特に気をつけたいことです。

お金の使い方は意思表示

じゃあこれらの問題にはどう対処すればいいかというと、圧倒的に数で勝る我々大衆には一見地味ですがとても有効な「選択する」という方法があって、上記のような昆虫食を推進するモラルとリテラシーの低い企業の製品やサービスは利用しない。株などの投資もしない。昆虫食は一切導入しないと明言しているまっとうな企業を応援するということで自身も良い結果を得られるだけでなく、十分な意思表示となります。

スピードワゴンの嗅覚の大事さ

善人のふりした悪党というのは醜悪さは言わずもがなとして、本性を知っていればある種の滑稽さも感じられますがそんな人物をみると、ジョジョの奇妙な冒険(初期の方)でスピードワゴンがディオの本性をすっかりお見通しだったエピソードを思い出します。この匂いやうさん臭さを感じ取る感覚は今の世の中では特に必要なものなんじゃないかなと思うばかりです。

「悪党を見たければテレビをつけろ」「悪党は悪党ゆえに自からの放つ悪臭に鈍感で気が付かない」なんて金言を以前どこかで聞いたことがありますが、当事者を含めそういったまっとうではないことばかりをしている環境に長くいることによって、多くの人が持つまっとうな感覚からはかけ離れた異質で異様なものになっているのからかもしれません。

次回は?


次回はこれまでに考えたゲーム性を基盤にした物語をあれこれと考えていく回となる予定です。




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個人サークル「elh(エル)」及び所属制作サークル「future extra」にてオリジナルの電子書籍作品、ヴィジュアルノベル、RPGなどを作っています。 無料作品もありますのでお気軽にどうぞ。各作品の詳細及びダウンロードはelhのサイト及び各サイト様へのリンクにてご案内しております。 ハンドル名の由来は映画『2001年宇宙の旅』のHALプログラムを簡略化したものです。

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