前置きですがこれはあくまで創作物であるお話を作っている企画です。
嘘のレベル
大分前に聞いた話なので記憶が少し曖昧になっていますが、さくらんぼジュースというパッケージでりんごジュースを売っていたのに、しばらくの間誰もそれに気が付かなかった、という話があって、それを聞いた当時ちょっと面白く感じました一方でもしこれが自分でも案外同じようにしばらく気が付かなかったかもと思ったことがありました。
堂々とパッケージに書かれているし、どこかの段階で誰かが確認しているだろうし、味はりんごっぽいけどこんな味のさくらんぼジュースもあるのかもということもあるだろうし、なんていった感じで案外見抜けないこともあったのではないかなと想像する訳ですが、別にさくらんぼがりんごであってもそこまで真剣に腹を立てる人はそんなにはいないのではということもあるかなと思いますが。
これは確かに嘘ではあるけれど嘘という言葉を使うと少しきつい気がするとこですが、嘘と言ってもものによってはいくつかの段階があるよなあということを、この小話を思い出すことによって改めて考えるきっかけになりました。
そこでこの嘘のレベル、あるいは段階というものを効果的に物語の中に取り入れてみたら面白いのではないかなというのが、今回第二回の趣旨です。
例えばさくらんぼが実際はりんごだった、というのはまだかわいい方のレベル1くらいの嘘だとしたら、味を化学的に調整し香りをつける為にだけ本物の果物をつかっている、というのがレベル2。そしてレベル3では香りも風味も化学的な化合物で作られており果汁は一切使っていない、となるのかもと考えました。これはあくまで自分が考えたものですが、実際に起きていることでこれと似たような話としてはこんなものがあります。
コーラに含まれている成分にはアセスルファムK、アスパルテームがあります。
— TOYO (@toyo1126Q17) April 3, 2024
これらは元々、殺虫剤として開発されましたが、甘みが砂糖の300倍ほどあったので、人工甘味料として清涼飲料水に入れられるようになりました。
現在、さまざまな食品に添加物として加えられています。
そしてこんな話も
もっと段階のあって深さがある嘘
次にもっと段階があって根本的な部分からの嘘で驚きがあるものはないだろうかと考えました。
そんなものがあるのだろうかとしばらくの間考えてみたところちょうどいい例としてはやはり人かなというところで、分かり易く芸能人なんかがいいのではと思いました。
例えばある芸能人がいたとして確かに本人だけど素顔が出せない理由があってゴムマスクを被っていた、というのがレベル1。公証は女性で女性の恰好して女性のように振る舞っているけど実は男だった、またその逆もというのがレベル2。まったくの別人が本人に成りすましていた、がレベル3。
次は技術的にも一気に飛躍して、本人の細胞からクローン培養的なもので代替しているというのがレベル4。そもそも人間じゃなかった、というのがレベル5。という段階になるのではないかと思ったところで、レベル5に関してはもっと細分化できそうというかいっそ次のレベルに分けてもいいようなものがよく考えれば何段階か思い付きそうな気がします。
こうなった場合、人はこれらのどの段階でどんな風に気が付いたり違和感を覚えたり、あるいは疑念を持ったりするのだろうかというのもセットで考えたいところですが、ここ数年(それどころか何十年も前から言及している方もいました)よく話題に上ったものを参考にさせてもらうと、マスクだと耳に穴がない。首の付け根がたるんでいる。例えば肌の質感が明らかに人のものではない人工物のよう。肌がやけにテカテカしている。瞼の部分の形状がおかしい。やけに首が長い、頭の位置や大きさがおかしい。何かはっきりとは分からないけれど、なぜかパッと見かなり違和感を感じるといった感じのものがありました。個人的には最近見たものの中では明らかに人のそれではない首の形状というか違和感が凄かったものがあって、これはある意味段階的に知らせてきているのだとしたら確かに最初のうちは面白くは感じそうですが、段々とまどろっこしいなと思うようになるのではという気がします。
思い起こせばあんなに一瞬で瞳孔を変化させられる人間がいるのだろうか? いきなり緑色の何か得体のしれないものを吐き出す人間がいるのだろうか? 急に知能が低下したかのように大きくて見やすい文字に漢字にふりがなをつけた原稿を読むようになる人間がいるのだろうか? といったことがあるとして、そんなぶっとんだ話があるはずないよねえという認知的不協和と、じゃああれは一体何だったんだ? なぜいきなり別人のように顔が変わるのだろう? なぜ体のパースがおかしいのだろう? なぜいつも説明が後付けで言い訳がましいのだろうか? というもののせめぎあいの末、人はどのように自分が感じたこととそうとされているものとのギャップや心の中に沸き上がってきた疑問や違和感と決着なり折り合いをつけていくのか、という過程の部分をフィーチャーするのは、お話としてかなり面白味が出せるのではないかなと思いました。