動画紹介その2

2024/05/10

動画紹介

なんとなく色々なことのゴールが見えてきた感があるので、もっとこれからのことについても考えてみたくなっていたところでまさにな方向性を説明してくれている動画がありましたので、動画紹介その2です。


それにしてもなぜすべて終わっているのに表向きに公開しないのだろう? 一体何が止めているのだろうか、それとも何を待っているのだろうと思うこともしばしばで、なんだかある時期まで。あるいはあることが達成されるまで間をもたせているような気がする時がありますが案外これまでの腐敗したものを全部壊した後、DSカバールグローバリスト全部追い出した後のビジョンがまだ決まっていない。または話し合いなりそれぞれの折り合いがまだついていないからなんじゃ? とふとそんな考えもよぎりましたが確かめようもないので、もっとはっきりしたものが見えてくるまではこの状況が続きそうな気配があります。

一番避けたいのがまた再びおかしなものが支配するような元の木阿弥になることだと思うので、そうはならないように徹底的な排除、そして金で転ぶグレーゾーンも含めて一掃している為に時間がかかっているという説もあり、そっちの方が可能性としては高そうな気もします。

輸入代替と地域振興

動画の最初の方ではこのふたつのキーワードがありました。自分の勝手な解釈としてはこれまで不当に安く買いたたかれていた資源国の資源や労働力の格差がなくなることにより物が入ってこなくなる。今現在の生活が成り立っているのは誰かが不当にスポイルされている不健全な構造によるものだとしたらそれがなくなるという話と捉えました。

ひとつの例としては電気自動車のバッテリーに使われるコバルトはコンゴの現地の人々を相当な低賃金で奴隷のように働かせている背景があり、この搾取的な構造はそもそも環境問題を声高に主張する以前に解決すべきでは? ということだけでなくその構造で金儲けしている連中が主張すべきではないことのように思えますが。

じゃあ物が入ってこなくなると生活水準はどうなるかといえば多少の影響はあれども、庶民の生活においては多分そこまでではなく、一番影響あるのがその歪んだ構造から大きく利益を得てきたごく一部の者に限るのではと思われます。

いわば庶民はそのごくごくほんの一部の端っこのようなおこぼれだけが与えられており、構造的に労働力のほとんどをスポイルされていること(日本においてはすでに五公五民を超えている)は同じで本質的には奴隷労働とあまり変わらないんじゃという気がします。

ではその構造がなくなって輸入に頼ることができなくなった時にどうなるか、動画の解説では輸入代替についてや物作りはまさに日本が得意とする分野でまったく心配いらないしかなり早い段階で復興していくのではという安心できる話がありました。
確かに日本は今有るものでうまく工夫したり現状にあわせてうまく調整する能力が高いように思えるので大丈夫のような気がします。

また輸入代替には他にも良いことがあって、かなりの無駄が削がれるのではということで、なんでもかんでも輸入に頼る必要があるのだろうか? というところから自分達で賄うようになれば自然と余計なものが削ぎ落されぴたりと必要量に見合ったものづくりが出来るメリットもあるという話には成程確かに思いました。

今の鬱陶しい邪魔者政府が一掃された時はこれまで抑圧されていたものが一気に芽吹きだす気配があるというか、何かものが必要となった時に「あ、それなら自分のとこで出来ますよ」と手を上げる人が色々な分野から出てきそうで、そんな活き活きとした協力体制が生まれている状況を早く見て見たいなと思わされます。

地域振興

なんとなくこれからは地方がメインになってくるといった話を耳に挟むことが増えてきたような気がしますが、確かにそうなるかもという漠然としたイメージがあり、もしかしたら政治的な面でもこれまでの中央集権から地方分権に移り変っていってより細分化していくのかもという感じがします。

中央集権の何が問題かと言うと、これまでの問題を振り返ればなんでもかんでもひとつにまとめようとするこの構造が利権や政治の腐敗を招く構造でありまたその逆として、利権を得る為にこういった政治構造を作った面があるようなことばかりが明るみになるここ数年であったような気がしています。
仮にまともなトップのいる国であればトップダウンでも良い方向に向かう構造かもしれませんがそんなところは稀で、かなり危うく非常にリスクがある構造ではと思えます。

最近の政治と金に関する醜聞では誰も相応の責任を取っていないし、何一つ浄化されたわけでもない。つまりもうこの構造はもともと欠陥がありますよ、もうこの構造ではどうにもなりませんよ、まったく新しい構造に刷新する以外道はありませんよ、と強く何度も示しているように見えました。

つまり組織や団体など大きな単位になると多くのリソースが集まり、また構造が複雑化するので透明性も失われその影の部分によからぬ者やよからぬ考えが暗躍する余地が生まれるのはこれまでさんざん見させられていた訳で、ではその代替は何かと言ったらその逆の分散で、大きなリソース扱うことはなく強権も持たない。自立した誰にも構造が把握しやすく、その共同体に属する人の意見がすぐに反映されるフットワークの軽い即応性のあるものになるというのはすぐ分かる答えだと思いました。

そもそも政治の仕事のほとんどがどのくらいのリソースをどこにどのくらい分配し管理するものと言えるので、そこまで人数が必要でもないしなんなら方向性だけ決めて細かい数字はコンピューターに任せればいい話で言ってはなんですが先生と呼ばれ人からあがめられるような仕事でもなく、他の仕事とまったく大差ない役割レベルではと前から思っていましたが、もし今後色々な国の大きな政府が解体されるとしたら政治の仕事はそれぞれの地域間の互いの落としどころ、意見や話をすりあわせる調整的な仕事に置き換わるのではと勝手に予想しています。

これまでの腐敗した政治による酷い搾取的な痛みから得た学びとその反動で新興の最初のうちはかなり勢いよく進んでいくような気がしますが、地域ごとに何で集うかというと方向性。地域柄。価値観といったもので小さくまとまるコミュニティがたくさん出来るようになったらかなり面白いのではと思いました。

十把一絡げの問題

改めて考えれば誰かが勝手に決めた価値観をどこの誰であろうと無理矢理押し付けられるというのはまさにこれまでの世の中を象徴するものではと思えます。
例えばこれが良い生活ですよ。これが正しい考えですよ。これが正しい認識ですよというものを押し付ける装置がメディア、特にテレビであらゆる重要なことや、実際はとてもシンプルことをあえて複雑にし本質を見えにくくしていたというか主要な問題を作り出していた元凶そのものではという気がしています。

テレビがバカの箱という蔑称がつけられるのもまさにと言ったところで、どんなところに住んでどんな生活をするのか。どんな種類の仕事が良いもので、どんな服を着るのか。どのような人生設計が一番良いか。とにかくみなここに向かっていきましょうね、という偏狭な価値観を植えつけられた人たちはことごとく洗脳されたかのように自分の考えと感性を失くし、おかしな幻想ばかりを追い求めて一生を棒に振るような地獄を見たのではという気がしています。

拗ねてしまう本心

しかしそう多くはなさそうですが、そんな押し付けられたものはいらない。自分が好きなものは自分が分かっている。余計なお世話だと堂々と突っぱねられる人もいるのも確かで、なぜそういった心持ちになれているのか。これはやっぱり常に自分の心の声をちゃんと聴いてあげているかだけの違いなように思えます。

自分の心に嘘をつき過ぎていると自分にさえ本音を言わなくなってしまい、一体自分が何を求めているのか。何が良くて何が悪いのか。何が嬉しくて何が嫌なのか、自分で自分のこと。自分の本心が分からなくなってしまい、他(テレビなど)から持ち込まれた価値観に簡単に染まってしまうことになってしまっているのではと思えます。

じゃあなんでそんなに自分の本心が言えない抑圧的な状況に世の中がなってしまったかといえば、特定の層がその他大勢をコントロールしやすいようにわざとそのような抑圧的な状況や風潮を作り出しているということが大いにある気がしていて、実際は金儲けという理由だけではなくもっと大勢の人間をもっと抑圧したい。もっと欠乏感を与えたいという意図が見え隠れしているようにも感じます。

最近ちょこちょこと方々で日本の金融の話を聞いているとどうにもわざとやっているようにしか思えないというか、あるのに出さない。絶対楽にさせない。いつも足りないと吹聴する。これからはもっと大変になる、とそういったすべて欠乏ベース、マイナスの論調で一方だけが都合のいいストーリーを作り出してそれらが望む方向へとどんどん風潮含めて誘導している状況に思えます。

少し前にご紹介した引き寄せの法則を解説しているジョーディスペンザ博士の話でも、人は生存本能的にネガティブな記憶の方が強く残りやすい。ポジティブな展望よりもネガティブな予想の方に引っ張られやすい性質があるという説明を思い出しましたが、こういったことも支配構造の中でうまく使われているのではと感じます。

ネガティブなだけな予想はいっそ突っぱねる

人生を会社経営に例える面白い話もありますが、仮に自分がどこかの社長だったとして、常にネガティブな予想をもってくるだけの人間がいたら、本心ではこの会社が潰れて欲しいのか? と段々イライラしてくるのではというか、例えあってようが間違っていようが解決策を自分なりに考えてそれとセットで、自分の提案に責任を感じられる人を周りに置くのが道理なような思えるので、よく予想でも何年何月に災害が起こるとか仮に起きても避けようのないことを言いっぱなしにしていることと同じように見えるというか、悪い予想をするならそれが外れた時に責任をとれる人の意見だけを取りいれる方が建設的なように思えます。







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個人サークル「elh(エル)」及び所属制作サークル「future extra」にてオリジナルの電子書籍作品、ヴィジュアルノベル、RPGなどを作っています。 無料作品もありますのでお気軽にどうぞ。各作品の詳細及びダウンロードはelhのサイト及び各サイト様へのリンクにてご案内しております。 ハンドル名の由来は映画『2001年宇宙の旅』のHALプログラムを簡略化したものです。

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