『元社長が語る! セガ家庭用ゲーム機 開発秘史 SG-1000、メガドライブ、サターンからドリームキャストまで』を読み終わりました

2022/02/25

読書感想&おすすめ本

雑談枠でのご紹介にしようかと考えていましたが書いているうちに熱が入り、引用含め一万字越えとなったので単独記事にしました。セガのハードウェアに関する細かい解説に加え、びっくりするような裏話、ゲーム分野以外に残したセガの様々な功績の話だけでも個人的にかなり興味深く楽しく読めた面白い本でしたが、セガファンだけでなくゲーム全般に興味のある方、コンピューターテクノロジー関係に興味がある方にも是非おすすめの一冊でした。
 

『元社長が語る! セガ家庭用ゲーム機 開発秘史 SG-1000、メガドライブ、サターンからドリームキャストまで』
佐藤秀樹
徳間書店 2019年
https://www.amazon.co.jp/dp/4198649847/

(アフィリエイトリンクなし)

セガの元社長である佐藤秀樹さんによる著書で、研究開発部の一社員としてセガに入社した経緯の話に始まり、本の題名通り携わった数々のハードウェアの開発の話をメインとして、当時のセガの状況や人物。会社の運用、経済的な話を時折挟みつつ、社長に就任し退社に至るまでのセガの歴史を時系列で辿る内容でした。

技術畑の方だけにかなり詳しくソフト及びハードウェアに関する技術的側面からの細かい解説がされているだけなく各用語の注釈も豊富で、セガのゲームハードの詳細なスペックと使われているテクノロジーなど、開発の経緯や歴史を知りたいセガファンだけでなく、当時のゲーム業界の動向や電子機器を含めコンピューター全般のテクノロジーに興味がある人も満足できる一冊ではないかなと思います。

メカ屋だったセガ


“私は研究開発部に配属された。業務用のゲーム機を開発する部門だ。
マイコンはもちろんICだってない。トランジスターもまだない時代だ。機械の制御は、リレーといって、電気を通すと接点がぱちんと閉じる仕掛けを使っていた。
それからカム。カムというのはモーターにたくさんの板がついていて、1回回すと出っ張ったところのスイッチが入る、といった仕掛けだ。ほかにも、たとえば模型をチェーンに取り付けて、チェーンを回すと模型がぐるぐる動くとか、ハーフミラーで反射させて合成して見えるようにするといった仕掛けを駆使して業務用のゲーム機を作っていた。
ゲーム屋というよりメカ屋だった。”

(P8 「入社、そして研究開発部に配属」より引用)

セガが最初期にピンボールマシンやジュークボックスを取り扱っていたことはなんとなく知っていましたが、ICもトランジスターも無い時代から業務用のゲームを作っていたというのは非常に驚きました(セガの創立についての詳しい経緯は『セガvs.任天堂/Console Wars』の上巻にて書いてあったので、また別の機会にご紹介できれば)

そこからインテル社のマイコンの導入、セガ初の家庭用ゲーム機『SG-1000』の開発話の流れの部分を読むと、まさに著しい進化を遂げていたコンピューターや半導体の歴史と共にあった業界なんだなと思いました。
カプコンのCPSなど、業務用アーケードゲームでは当たり前のように使われているシステムボード方式が導入された話もまた興味深い内容でした。

※システムボード(システム基盤。マザーボードとも呼ぶ)

ソフトを入れ替えて使うことが出来るベースとなるアーケードゲーム用の基板。
ひとつのゲームしか遊ぶことの出来ない専用基板と違い、システムボード方式はソフトを入れ替えることで、機器ごとに単一ではなく複数のゲームを扱うことが出来る為、筐体のゲーム交換の手間と製造コストを大幅に削減できるが、ゲームの表現能力がベースとなるシステムボードの機器性能に依存する為、コンピューター性能の向上と共に数年ごとに新たなシステムボードに刷新される。

カプコン、ナムコ、コナミなど各ゲームメーカーが独自のシステムボードを開発しており、セガのシステムボードとしてSYSTEM 16(1985) SYSTEM 24(1988) SYSTEM 32 NAOMIなどがある。

業務用ゲームと家庭用ゲームの差異 VS任天堂


1コインで数分間さっと遊ぶ時間貸しとも言えるアーケードゲームと、家で腰を据えてじっくりと長時間遊ぶタイプのゲームが好まれる傾向が強い家庭用ゲームではそもそもの収益スタイルと遊び方の違いがあって、家庭用ではセガの得意分野である業務用で培った数々の持ち味が生かしづらく苦戦したというのもあるけれど、結局のところ良いソフトが出ず、業務用アーケード基盤をベースにしたグラフィックチップを搭載した『SEGA MARKⅢ』でも任天堂には勝てなかったという話はこれまた非常に興味深い内容でした。

また、新しいハードでも以前のハードのソフトが動かせる後方互換性を持たせたいという意図から『SEGA MARKⅢ』ではヤマハと共同開発でグラフィックチップを作ったことを機に、その後のメガドライブのグラフィックチップにも。ドリームキャストのサウンドチップとしても、とヤマハとの長いつきあいになったという話と、ヤマハ製FM音源の質の高さの認知とその普及にセガが大きく貢献していたという話もまたとても面白い話でした。

世間での認識は(個人的な認識も多分に含まれていますが)主に業務用をメインとするセガはパッと見で魅せるタイプの派手で豪華なグラフィック。大きな筐体の体感機などの特にハードウェア的な側面からのアプローチが得意で、任天堂は自社ソフトだけでなくサードパーティー製のものを含めソフト自体のクオリティを高く保ち、また出荷数もコントロールするという主にソフトウェア方面に特に力を入れていたイメージがあり、こういった両社のスタイル及びゲームに対する考え方の違いは、かなり初期の段階から分かれていたのかもしれないと思うと中々感慨深いものがあります。

このことがよく分かるものとして先月の雑談記事でご紹介した『任天堂 “驚き”を生む方程式』の第六章「ソフト体質」で生き残る、の「ソフトが主、ハードは従」の項目で任天堂の山内さんの言葉で語られていました。

不定期雑談 第19回


セガの東証一部上場とCSK


CSKの大川さんがパラマウントからセガの株を買い大株主となり、その後東証一部に上場させた話に続き、こんな興味深い話がありました。

“大川さんはたくさんの子会社を創設して、上場させてきた。だから、株式の資産として見ると、多分6000億円とか7000億円あったと思う。それで、いろいろなところへ出資している。その出資の先の1つに、ソフトバンクの孫さんもいた。大川さんは、困っていそうだなと思ったら、ぽんと金を出したりする人だった。
だから、大川さんのところには、取り巻きとでもいうのか、何やっているのかわからない人間が集まっていた。「TRON」の提唱者の東大の坂村健さんも取り巻きの1人で、「大川さん、大川さん」といっていた。”

(P45、P46 「CSKグループの資本参加」より引用)

組み込みOSで有名なTRONの話が出てきたのと、ちょうどタイムリーに最近こんな話を聞いていたので、結構驚きました。



もしTRONが採用されていたら、現在の日本のOS事情、ひいてはコンピューター事情はかなり変わっていたのかもしれません。
その次にセガとソニーの提携が出てくるのですが、この辺も『セガvs.任天堂/Console Wars』の下巻にて主要人物の話を交えかなり詳しい経緯が書かれていたので、興味があれば是非ご一読をおすすめします。
こっちの本にもちろんこの話は載っていて以下の様な驚くべき話でした。

 “これも後の話だが、セガとソニーが協力してコンシューマーをやれないかと模索していた、大変な時期があった。
大川さんは、大賀さんと懇意にしていて、大川さんから「ソニーと一緒にやったらどうだ?」みたいな話があった。おそらく大川さんと大賀さんの2人の間で話しあっていて、それが下に下りてきたということだったのだろうと思う。

 先方は、大賀さんとソニー・コンピューターエンタテイメントの久夛良木さんと、久夛良木さんの上司で当時専務だった人の3人。こちらは、中山さんと私ともう1人の3人。3対3で品川のソニーの接待用施設で食事しながら、「いろいろ頑張ってはいるけれど、任天堂にはどうしても勝てない。だったら、一緒にできないかな」みたいなことを話あった。

 そのときに、私も初めて知ったし、中山さんも初めてだったようだったが、パラマウントはソニーにセガを売ろうとしたのだという。ソニーは品川、セガは大鳥居、場所もそれほど遠くもない。セガはコンシューマーをやり始めているっていうことで、大賀さんはかなり関心を持ったと、自分でいっていた。パラマウント側の責任者が、次回来たときにディールをまとめようよみたいなことで、帰っていった。
ところが、帰る途中で飛行機の中で心臓麻痺で死んでしまったのだというのだ。ソニーとパラマウントとの間の話は、それでなくなってしまったとのこと。”

(P49、P50 「CSKグループの資本参加」より引用)
注:中山さん(セガの社長) 大賀さん(ソニーの社長、会長、取締役会議長、名誉会長を歴任) 久夛良木さん(プレイステーションの生みの親)
パラマウント(アメリカの映画会社。元々セガはこの会社の傘下だった)

ソニーのプレイステーションが元々はスーパーファミコンの周辺機器だったということは割と有名な話ですが、当時セガとソニーがハードで協力するという話はこれらの本を読むまでまったく知らず、かなり驚きました。
歴史のIFと言いますか、もしこれが実現していたら、現在までに続くゲームハードの状況はまた違ったものになっていたのかもしれません。

余談ですがコンソールウォーズの下巻にはそもそもの任天堂とソニーが組む発端の話として、ファミリーコンピューターにソニー製のサウンドチップ(SPC700)が使われていたことがきっかけになったという話もありそれもまた驚きでした。

様々な方面でのセガの活躍


教育(知育)

 “CSK総合研究所のプロジェクトの中にAIがあった。AIの言語は「Prolog」というもので、これを使うと、AIの機能がソフトウェアで具現化できるという。そこで、セガが「Prolog」を使って教育用のコンピューター、「セガAIコンピューター」というものを作った。ただし、このAIコンピューターは、正直いって、大失敗のプロジェクトだった。
 けれども、AIコンピューターでいろいろ失敗したので、失敗を糧に、後にキッズコンピューター・ピコ(PICO)というものを作った。これは、幼稚園児の中でのデファクトスタンダードに近い存在になって、何百万台も売っている。”

(P46 「CSKグループの資本参加」より引用)

名前こそ知っていたものの、ここまでPICOが普及していたことは知らず驚きでした。
コンソールウォーズの下巻のラストにもありましたが、セガ・オブ・アメリカの社長兼CEOを務めたトム・カリンスキー氏が社会還元のひとつとして、ゲームによる各種の教育活動、特に学習とテクノロジーとの組み合わせに重点を置いたものに非常に関心が高く。セガを退社後にゲームのテクノロジーを教育に応用し、教育ソフトメーカー、知育玩具メーカーなどの数々の企業で活躍したことから、氏が日本のセガを訪れた際に開発中のこの製品に大いに興味をひかれたのも実に自然な話だったのではないかと思われます。

ひと昔前はハード性能がまだ低かったこともあり、表現が乏しく内容が単調で繰り返しが多く、ゲームばかりしていると想像力が貧困になると揶揄されることもあったそうですが、幼児に限って言えば既存の知育玩具よりもインタラクティブ性が高いこの製品は、十分知育の一助となったものであることは製品の詳細を見ればよく分かりましたので、PICOの普及が子供の知育方面にも大きく貢献したのも間違いないようです。

半導体産業

“ゲーム機が使うとなれば、その数は半端じゃない。SCEの久夛良木さんもいっていたが、ゲーム機はテクノロジードライバー、すなわちテクノロジーを引っ張る役割というのがとても大きい。例えば数百万台作りますっていった瞬間に、数百万個その半導体が流れるわけだ。普通は新しい技術を開発しますといったって、売れるか売れないかわからない。それに比べると、家庭用のゲーム機でうまくいったら1000万台、2000万台売れる。
最低でも数百万台は売れる。となると、半導体メーカーにとってもひどく魅力的なのだ。”

(P103 「セガサターン発売」より引用)

本書の別の項でも、セガがゲーム機用の半導体を大量に発注したことにより、メーカーの生産体制が整い価格がこなれていった面もあるのではないか、と著者は推察していました。

半導体と言えば産業の米。あるいは主役と呼ばれるほどで、スマホなどコンピューター関係には欠かせないものというのは当然ですが近年では自動車にも大量に使われているだけでなく、国防の面でも重要視されていることから、需要と重要性も年々高まっています。

ゲームは単なる娯楽のひとつに過ぎず、社会的影響もどれ程のものだろうか、と思われがちなところがあるかもしれませんが、こうした話を聞くと意外な所で産業の発達にも大きく貢献していたのだという事実は驚くばかりです。

補足ですが、セガサターンにはグラフィックとサウンド制御用のCPUとしてSH-2(日立製作所が開発した32ビットRISCマイクロコンピュター)が二個。CD-ROM制御用にSH-1が使われているマルチプロセッサー方式で、これは後のゲームハードでは当たり前のように使われている方式ですがそのはしりがサターンだった、と本書の中で解説されていました。

更に余談ですがセガ公式サイトにて、各ゲームハードの詳細スペックを確認できます。
https://sega.jp/history/hard/segasaturn/index.html


豊富なライブラリと、ゲーム機にブラウザ機能を搭載


“セガのタイトルを良くしなけりゃしょうがないのだから、出し惜しみなんてしない。セガからライブラリをかなり出している。それが先方の財産になっているのだ。
マイクロソフトだってそうだ。DirectXなんて、サウンド関係はどうしようもなかった。彼らは音に対してはほとんど造詣がなかった。PCをやってきて、絵を早く動かすとか、書き換えるといったことはできたのだけれど、音がらみは駄目だった。”

(P150より引用)

マイクロソフトは音に関してはさっぱりだったんだという驚きに続き、セガがマイクロソフトと共同でハードウェアの開発を始めたけれども喧嘩別れ的に取り止めとなる話に続き、ドリームキャストにブラウザを搭載する話でもマイクロソフトのものが使いものにならず、最終的にACCESSのソフト部隊とセガの部隊の共同で、最大30人もの人員を投入しブラウザを実装する話に続いていました。

セガサターンでは通信をする為にセガサターンモデムを別途に買う必要がありましたが、ドリームキャストはインターネットブラウザ機能が標準搭載されており、当時のゲーム機としてはかなり時代を先取りした画期的な試みだった印象があります。

PCであれば大体ブラウザは標準搭載されていますが、PC自体がそれなりの値段をすることを考えると、数万円のゲーム機でインターネットも使えるというのはありがたく感じた人や、このゲーム機で初めてブラウザに触れた人も当時多かったのではないかなと思われます。
それにしても何気なくついていたように思えたドリームキャストのブラウザ機能の裏に、このような開発の努力と苦労があったとは全く知りませんでした。

またインターネット関連の話として『ファンタシースターオンライン』も外せないところです。

ファンタシースターオンライン』(Phantasy Star Online)は、セガが運営していたオンラインゲーム。略称は「PSO」。開発はソニックチーム

2000年12月21日ドリームキャスト用ソフトとして初登場した。日本で初めて成功した家庭用ゲーム機用オンラインゲームと言える作品で、第5回日本ゲーム大賞を受賞した。後にバグの修正や難易度・レアアイテムなどが追加変更された『Ver.2』や、ドリームキャスト生産終了以降はプラットフォームを変えてバージョンアップ版が多数発売された。

(ウィキペディア ファンタシースターオンライン より引用)


また伝え聞いた話ですが、あの有名作『モンスターハンター』開発者が、モンハンを開発する上で参考にしたと公言しているという話もあるそうです。

ドリームキャスト販促の失敗話


中でもドリームキャストの宣伝の章はかなりのインパクトがありました。

“しかし、よくいうんだけれど、湯川専務は売れた。でも、ドリームキャストは売れなかった。
 秋元さんはアイドルを仕掛けてアイドルを売る、それは凄いことなのかも知れない。でも何かものを売るとなると、きっかけにはなるのだろうが、購買を引っ張ることはできない。そこに大金を掛けたところで……。
 撤退した後で彼を呼んで、どうしてくれるんだこの金。金返せといって、いろいろあったのだけれど、秋元さんも一種の芸能人だから「ごちそうさん」の世界で、糠に釘だった。”

(P152 「秋元康の宣伝戦略」より引用)

ある情報筋によると一説には160億円かかったとの話を聞きましたが、そこまでの大金をかけたはいいものの効果は出ず、費用対効果としては散々だった結果を見ると、もう少しやりようがあったのでは、とセガ製品にそれなりにお金を費やしてきた一消費者の立場からすると色々と思うところはあるわけで、堅実に製品の機能や魅力を伝えるのでも、他のまともな宣伝方法でも新たな製品・ソフト開発費にでも、あるいは開発の外注でももっと他にずっと有効な使い道があったのではと思わずにはいられません。

これと関連した話で、1998年10月から1999年3月まで放映された『DAIBAッテキ!!』(フジテレビ)はセガが単独のスポンサーの冠番組でしたが(提供名としてはドリームキャスト)これも販促の一環だったと記憶しています。
その後若干番組名を変え、約一年間ほど続けていたようですが、やはり結果は出なかったようです。

なぜ結果が出なかったのかは、番組に関するウィキペディアをざっと見ただけでも分かる点が結構ありました。
そもそもの話としてセガの製品と連動した企画がほぼなく、また内容も直接購入に繋がるものではなく、ゲーム機を売りたいのかタレントを売りたいのかよく分からないもので、しかも放送地域が関東ローカルのみで放送時間も最も視聴率が良いプライム(ゴールデン)タイムは取れないにしても、夕方の16時半からの30分という、果たしてセガのメイン購買層が見る時間帯なのか、見たい内容になっていたのだろうか。購買に繋がる内容だったのだろうかといういくつもの疑問が浮かびました。

特に番組と製品との連動については、別の本からの引用になりますが、皮肉なことにセガ・オブ・アメリカはこの番組が制作される大分前に同じ手法でかなりの効果を上げていました。

“(中略)常に一石二鳥どころか一石「多」鳥を狙うセガの精神に則って、カリンスキーと彼のチームは極めて巧妙な解決策を思いつく。
ヒット番組の時間帯にCMを流すのではなく、自分たちの手で新しいヒット番組を作ってしまおうというのである。こうしてニルセンが陣頭指揮を執ってプロデューサーのリチャード・ロブセクを説き伏せ、全国ネットでプライムタイムに放映する特別番組をユニバーサル・スタジオで撮影することになった。内容は、人気のホームコメディで活躍中の若いスターたちを集め、好きな慈善活動のために奇抜でユーモラスな運動競技で競わせようというものだ。

セガは必要な予算を負担するだけで、番組タイトルを決定し、内容にヘッジホッグ競争やゲームギア対決といった競技を盛り込むだけでなく、さまざまな形でセガ製品を番組内で露出する恩恵にあずかることになった。これを恥知らずな自己PRと批判するのは簡単だったが、クールで流行の最先端を行くまばゆいばかりの一〇代のスターたちを前にして文句を言う者は誰もいなかった。”

(『セガvs.任天堂/Console Wars』上巻P240 「求む、スーパースター」より引用)

それなりのお金をかけるのであれば、いっそここまでやっていた方が良かったのかもしれません。
ローンチタイトルの弱さと、NEC製チップの生産遅れによる本体の供給不足という最初の躓きはあったにせよ、その後いくつも生まれた良作ソフト群という好材料を、宣伝方面から最大限生かせる形には持っていけた可能性は十分あると感じました。

何にせよ結果ドリームキャストも新たに売り出そうとしたアイドルも売れずに一体誰が得したのか分からないような結果で終わってしまったことを考えるとなんとも言えない気持ちになりましたが、もしかしたらこの時すでにタレント主導のセールス手法が通用しなくなっている時代に差し掛かっていたのかもしれません。

当時はCMでもまだこういったタレント主導のセールス手法がメインで、ある時から(あるいは段々とかもしれませんが)タレントを起用したCMがあくまでYoutubeなどで見る感じでの個人の体感ですがぐっと減ったような気がします。

この理由の説明に、凄く腑に落ちた話をいつだったかは覚えてはいませんが結構昔にYoutubeのコメント欄か何かで見かけたことを思い出しました。
流石にそのコメントを一字一句覚えてはいませんが、大筋の内容としては

・企業はあまりに広告費用にお金をかけ過ぎている
・特にタレントを使った高額な製作費を使った宣伝は効果が高いようにも思えるが、購入動機と直接的に結びついたということを証明することは難しく、実際の広告効果はかなり疑わしい
・しかもその高額な宣伝費用は商品の値段に反映されている
・こういった高額な宣伝費を払うよりも商品の価格を下げるか、商品の質を上げることにお金を使うか、従業員の給料を上げるべきで
・企業が高額な宣伝費を抑えれば、消費者はより良い製品をより安く買えるようになる
・消費者はこういったことを理解している誠意のある企業を積極的に応援するべきで、それが消費者自身の利益にもつながる

という内容でした。
当時このかなり鋭いコメントにかなりの衝撃を受けたので、これを見てしばらくの間この内容について考えたり、この意見をどう考えるか周りの人に意見を聞いたりしていました。
その中の話のひとつに、これがいち企業だからまだ良かったもののこれがもし政府関係の話で使われたのが税金だったとしたら非常に恐ろしい話だよねというものには、確かに大騒ぎになるなと思ったものですが、これらの一連の宣伝関連の話は一見当たり前のようで見落としがちな、意外な盲点だったように感じました。
そんな感じで世間の価値観、考え方の変化と共に現代の広告手法も知らない間に色々と変わってきているのかもしれません。

今のセガと昔のセガ


その後の社長就任から退社までの経緯が綴られ、本の最後にはこんな話で締めくくられていました。

“しかし、良くも悪くも、ゲーム業界はどこかで腹くくってやらないと駄目な業界なのではないかと思う。みんなで知恵を出し合っていいものに仕上げていきましょう、みたいなやり方ではちょっと難しいんじゃないかと思うのだ。
だから、昔はよかったというのは、歴代の社長が良くも悪くも癖のある連中だったということでもある。コナミだったら上月さんがいて、ナムコだったら中村雅哉さんがいて、カプコンだったら辻本さんがいる。エトセトラ、エトセトラ。この人たちは、もう癖の塊だ。セガだったら中山さんがいた。こういった人たちが、ワンマンでこれやれとか、あれやれとか、いいぞ、悪いぞという。駄目だったとしても、社長がいいっていったんだから、みんな社長の責任にできる。ワンマンな社長の責任を追及することは誰にもできないから、みんなしょうがないなですんでしまう。
10やって7失敗しても、2か3が当たればいいという世界では、やっぱり合議制ではやっていけない。合議するのはいいのだけれど、最終的な決定権者がいないといけない。
 アメリカの映画がすごく大成功しているのは、プロデューサーの権限がすごく強いことが大きいと思う。今日びはセクハラなんかで、いろいろ訴えられたりもしているようだが。”

(P172 P173 「ゲームアミューズメントの業界のあり方」より引用)

そもそもゲーム業界自体が何が当たるか分からないリスクの大きい商売であるのだから、なるべく慎重にリスクを取らずに行こうというのは本質から外れているのでは、という話に続きますが、確かにそうかもしれないと思ったところで、いつも見ている元カプコンの岡本さんのYoutubeチャンネルでも同じ様なことを言っていたことを思い出しました。

昨今のゲームハード性能の向上に伴う開発規模の拡大と開発費の高騰により、ひとつのつまづきにより会社に大きなダメージが入ることからなるべく安全かつ無難に、そして責任を分散させておこうというのもまた分かる話なので、どっちの考えが理に適っているのか、今後業界がどのような形になっていくのかまったく読めませんが読めないだけに抜群に面白いこともまた間違いないので、この先もいち消費者の観客として、かつこの業界のファンとして声援を送りつつ見守り続けていきたいなと思いました。

またその時々の最新のテクノロジーと連動している業界でもあるので、この先VRを始めとした新たな体感方面なのか、AIなどの画期的なソフトウェア方面なのか。はたまたまったく別の新しいものなのか、新たなゲーム体験を切り開いてくれる可能性。革新性を多分に秘めたこの業界から今後もまったく目が離せません。





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