チベタン シンギングボウル
昨晩は白けるというかかなりストレスを感じた人が多いように見えたのでお節介的にこの動画をシェアしたいな思ったところで、除夜の鐘が周辺の住民の健康に寄与していた、という興味深いポストを結構前にテレグラムで見かけたのですが他にも、人間の身体の部位にはそれぞれ固有の周波数があってこの乱れが不調を起こすというものもあり、自分としてもそれに賛同する訳で、なんとなく鐘の音に近くて心地よいチベットボウルを最近たまにBGMとして聞いています。
選挙戦
選挙が終わるとどうしても三島由紀夫の小説『宴のあと』を思い出してしまうのですが、なんというか何か表面的には見えないものに踊らされているような。何かがしっくりこないような。
常に表向きとは別の枠組みの中で動いているかのような、今回もまたそんなものの気配を感じられたような気がしました。
ある程度そういったものがあることを察知なり承知した上で、割り切って参加しないと終わった後の脱力感が大きいというか、当選だけがすべてとしてしまうのはちょっともったいない見方じゃないかなと思えるところで、いや本当に特に都知事選は人の気力を吸い取る魔境か魔窟だなと改めて実感しました。
一度同時にネットでも非公式の投票サイトを誰かが作ったとして、どういう結果が出るか見てみたい気もします。
では今回の都知事選が個人的に面白いか、面白くないかといったかで言えば面白かった、というのが正直な感想です。
というのもかなり多くの候補者の、これまた多くの演説をまともに聞いたのは初めてで、興味深い話や面白い話。新しい見解や知らなかったことも多くてそれを聞くだけでも価値があって、後は現職をどう弄るか、単なる悪口ではない上手い表現で風刺するそれぞれの人の個性も出ていてこれもまた面白かったです。
それと候補者でも応援者でも大勢の人の一生懸命な姿を見るのはそれだけで楽しかったというか、ひとつの目標に向かって頑張っている活気のある空気はなんだかこっちも元気をもらえる気がしました。
特に一番よく見ていたのは未来党の木宮さんで、あの暑い中ほぼ毎日のように大声で演説をやってたら徐々に体力がなくなっていくのが普通ではと思えるのですが、むしろ後半になるにつれどんどん力強くなっていく姿は驚きで、また色々な人の応援演説や代表のアライアンス情報などのバリエーションがあって飽きずに継続してネット中継を見ていました。
直近最新の動画でのご主人のアカペラでの『マイウェイ』を歌っていて良い曲だなと尾崎紀世彦さんのも聞きたくなったところでそれも含めてさっそく取り上げているブログがあって、やはり同じことを考える人はいるものだなあと思いました。
同じく洋楽のカバーで『思い出のグリーングラス』もまた良い曲なんですが、原曲では囚人が最後に思い浮かべた光景というもので、単なる郷愁以上の何かを感じるような。悪事の結果究極的に裁かれる前に脳裏で見る子供の頃の無邪気な思い出の光景。その心情にどんな思いが去来しているのか。子供の頃の純心さ、それから悪事に染まった原因。それに対する裁きなど色々と考えさせられるような曲です。
ひょっとしたらグアンタナモとか豆腐船などでこの曲が流れることもあるのでは? と勝手ながらにふと思いました。
尾崎紀世彦 思い出のグリーン・グラス
池というより沼
正直沼地の排水を若干期待したところでしたが、自分よりもはるかに憤っている多くの人たちを見たおかげで不思議と少し溜飲が下がった面もあるというか、かなり本気な様子ですでに動いているのもあり、ベビーライフの話も人道と人間自体の尊厳に関わる問題なのでさすがに放置されるとは考えにくく、このまま平穏無事に終わるとは思えないので今後の展開に期待しつつ成り行きを見守っています。
しかしあのプロジェクションマッピングは本当にひどいというか、個人的にはセンスのかけらも感じられないしそこまでお金をかけてやることともまったく思えない単に中抜きする為の口実としてのやっつけ仕事の代物に見えますがその下で無料配布の弁当に長蛇の列、しかも若者も多かったという光景はちょっとしたホラーというか、何か大きく間違った歪んだ構造の一旦が垣間見える狂った政治の結果の象徴のように感じました。
ある種、参加者が増えれば増える程に主催者の富と権力が増すゲームに組み入れられていると若い人でも気が付いたら、みんなが席を立って別のテーブルに移動すれば取り残されるのは貪欲で傲慢なゲーム主催者であること。
既存のテーブルの上には収入、芸能、ファッション。あるいは見栄とか体面。それらのものに旺盛な若い人には魅力的なものが並べられているように見えるけれど、どれも単なる気晴らしに過ぎない時間の浪費か、日常の我慢を麻痺させるだけのまやかしと気が付いて、もっと人間的な生活や安全な食事。自然との触れ合い。気の合う仲間とかあるいは同じ価値観の者と畑でも耕す方に天秤を傾ける人が増える分だけその沼のようなゲームも早く終わりそうに思えます。
その一方でこのところ、ずっと裁判所がフル稼働しているそうで更にここ最近毎日のように企業や公務員等の不祥事が明るみになる速度と頻度を見ると、既存の枠組みが急速に解体されていることは確かで、これが表面的な変化としてはっきり分かるぐらいになるまで待ってもいいように見えますが、能動的に動いてそれが待てる心境にまで持っていくことも大事と暗に教えてくれているような気もしています。