ベトナム戦争で暴露された米軍の実態
ここまでの詳細を知らなかったので、これには自分も絶句しました。
遺体損壊がごく当たり前に行われていたことは、人間というのはここまで人ということを捨てられるのだなとも思えます。
それなりの勇気と覚悟がいる内容ですが、是非最後まで読んで欲しいと思う記事です。
またそれと同時に山ほどの写真があるのになぜこれに触れないのか。触れたがらないのか。ベトナム戦争が史上稀に見る汚い戦争だったと言われる理由がよく分かります。
この戦争から手を引く方向に向かおうとしていたケネディ大統領が暗殺されず存命だったら、おそらくこのようなことが起こらなかったのではと推測できるのは、以下の理由からです。
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アメリカ軍事顧問は、1962年末までには、3,200人に。そして、1963年ケネディー大統領暗殺時点では、16,000人にまで膨れ上がっていました。
ただし、この段階ではまだ戦うためのアメリカ軍は送っていません。
1963年、ケネディ大統領暗殺により、副大統領であったジョンソンが大統領に就任しました。
ジョンソン大統領になり、ついにアメリカ軍がベトナム戦争へ派遣されることとなります。
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韓国軍が慰安所設置
一番最初の記事に戻って、その中にはこのような部分がありました。
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大東亜戦争で日本軍に拉致され売春婦にさせられたと公言する韓国女性の証言内容には、「ドラム缶に入れられヘリコプターでキャンプに運ばれた」とのことだから、明らかに、彼女は、大東亜戦争ではなく、ベトナム戦争の時の売春婦である。
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つまり起きた物事の時期とその対象をうまくすり替えた、というお得意の手口が使われた訳ですがなぜやけに韓国の言い分ばかりがメディアによって世に拡散され喧伝されるのか。
ベトナム戦争時に韓国軍用の慰安所があったことを報じた記者は何故か、左遷されてしまいましたが。
調べてみると記事が出た当時産経新聞にも掲載されていたことが分かりました。
これは公文書に記述されている事実と書かれています。
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現代史家の秦郁彦氏「ベトナムにおける韓国軍の住民虐殺、強姦はつとに知られていたが、その陰に隠れて慰安所経営にかかわっていたことが判明したのは、公文書では初めてだと思う。引き続きさまざまな公文書が出てくることを期待する。今後、米国にいるベトナム難民移住者らが声を上げる可能性もあり、韓国に旧日本軍のことを言う資格はないという意見も出るだろう」
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「韓国軍が慰安所設置」 ベトナム戦争時 米公文書に記述
韓国軍のベトナム慰安所報道で処分、「左遷」 TBS山口敬之ワシントン支局長に激励の声相次ぐ
そしてまた南京大虐殺の捏造とアメリカのいくつかの都市に慰安婦像が置かれている理由が見えてきそうです。
自分のやってきたことをカバーする目的と共に、これをビジネスにまで展開する腹黒さとカルマの恐ろしさを知らない胆力にはある意味で関心しますが、口封じまでやる徹底ぶりまで知るともう何も言えなくなります。
以前、笹原さんの解説でこのベトナム戦争は大東亜戦争の続きであり、ベトコンを訓練したのが日本陸軍だった、との話を聞きかなり驚きましたが、デイヴィット・アイク氏著書でもこのベトナム戦争に関しての驚きの解説がありました。
文章としては短いですが、これも割と衝撃的な内容となっています。
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五万八千人のアメリカ人以外に、あの戦争でどれほど多くのベトナム人が殺されたかなど、知る由もない。連中の考え方がいかに生命に対する配慮を欠いたものだったか、それを何よりも雄弁に語っているのは、CIAがアメリカに麻薬を密輸したやり方だ。
連中は、埋葬のためにベトナムから送り返される兵士の死体の中に、ビニール袋に入れた麻薬を詰めたのだ。CIA工作員グンダー・ラスバッハーは、麻薬をアメリカへ輸送するために何人かの死体の内蔵を抜き、そこに詰めたようすを語っている。死体には暗号がついていて、西海岸の空軍基地(とりわけカリフォルニア州トラヴィス空軍基地)に到着した際に、どの死体に麻薬が入っているのかを特定できるようになっていた。麻薬はそこで取り出され、アメリカ中の若者の手に渡っていった。
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『大いなる秘密』下巻 P83
ベトナムでベトナム人の遺体を損壊する一方で、死んだ兵士は国を破壊し堕落させる麻薬の詰め物として本国に送り返される。
これに何と言っていいかは分かりませんが、これらすべてをはっきりと世に知らしめた後に、それに対して全世界の人間がどのような評価・判断を下すかを決めないままでは前に進めないのではと。
またこの戦争に本格突入した経緯について理解することで、こういった偽旗を起こさせない大きな抑止力になるのではと思えます。
取り消された“トンキン湾決議”
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ところが、4年後、ジョンソンと対立して辞任した国務大臣マクナマラは、このトンキン湾事件がでっち上げ出ることを告白した。当時北ベトナムは魚雷艇を装備していなかったし、大統領が議会に提出した決議文の原案は5日よりも前に作成されたものであったことが明らかになった。1970年、このトンキン湾決議は取り消された。
ドキュメンタリー映画『フォッグオブウォー』では、時の国防長官マクナマラは8月2日の魚雷攻撃は確かに受けたが、4日にもう一度受けたというのは、ソナー探知係の誤認だったと述べている。ベトナム戦争の責任の所在を問われたマクナマラは、それは大統領にある、明確に答えた。翌年の北爆恒常化、海兵隊のダナン上陸については大統領に反対を具申したが、止められなかったのは自分にも責任がある、というのが彼の立場だった。
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当時北ベトナムは魚雷艇を装備していなかった、という衝撃的な事実がありますが、これはCIAが起こした偽旗作戦だったと自白する証言が後に出ていたように記憶しています。
これを含めて昨年歴史における偽旗作戦について調べましたのでそのうち出そうと思っていましたが、第一次世界大戦で戦争を引き起こしている本当の原因と背景を見定めていれば第二次世界大戦が起ることはなかったし、もしそこで見極めていればベトナム戦争が起こることはなかったし、またそこで分かっていたのなら9.11が起こることはなかったのでは、と思えます。