これは半年くらい前に出ていた画像で、結構印象的な画像でした。
大勢の人がビルを見上げている中、おそらく配達の仕事をしている日常に生きる人との温度感の違いが印象的です。
本題
戦争や争いが始まったきっかけ。その原因を見ると、どれも常に同じ背景と同じ手口が見えます。
まずはアメリカがまだ英国の植民地の時代に起きたボストン茶会事件からです。
ボストン茶会事件
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事態が先鋭化したのは、ブラザーフッドの戦略に従う英国政府によって、アメリカ植民地に「茶条例」が押し付けられたときであった。
それは英国東インド会社(BEIC)に、同社が大量に保有していた茶を、アメリカ植民地において無税で販売することを許可するものだった。
このことが植民地商人の市場に致命的な影響を与えるであろうことは目に見えて明らかだった。
モホーク・インディアンに扮した一群が、ボストン港に停泊していた英国商船ダートマス号を襲撃し、積荷の茶を海中に投げ捨てた。
歴史に言う「ボストン茶会事件」だ。もちろん彼らはモホーク・インディアンなどではなかった。彼らの正体は、ボストンのセント・アンドリュー・ロッジのフリーメーソンたちだったのだ。彼らを率いていたのは、若き支部長ポール・リヴィラであった。
この事件は、英国の命令によってダートマス号警備の任についていた植民地民兵の協力なしには、決して起こりえなかったことである。
ダートマス号警備の任にあたっていた民兵隊の隊長の一人であったエドワード・プロクターは、セント・アンドリュー・ロッジのメンバーであった。
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有名な「ボストン茶会事件」もまた、犯行はモホーク・インディアンなどではなくフリーメーソンが仕組んだ
デイヴィット・アイク著『大いなる秘密』上巻 P447-448
以下はアメリカが関わったマイダン革命を除き、アメリカが戦争に引きずり込まれた経緯のみっつの例ですが、9.11を含めると合計4つとなるのではと思えます。
ルシタニア号事件
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第一次世界大戦中の1915年5月、ドイツ軍の潜水艦がイギリス客船ルシタニア号を撃沈した。多数のアメリカ人乗客が犠牲となったため、アメリカのドイツに対する反発が強まった。ついで1917年のドイツの無制限潜水艦作戦の開始を受け、アメリカは4月に参戦する。
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『次の戦争におけるプロパガンダ』真珠湾攻撃
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日本の宣戦布告は12月8日であったが、真珠湾奇襲から遅れてアメリカ・イギリスに通告された。この遅れは意図したものとも翻訳に手間取ったためとも言われ、はっきりしない。F=ローズヴェルトが故意に遅れて受けとったという説もある。いずれにせよ、予測はされていたので、アメリカもただちに宣戦布告、日米戦を主軸とする太平洋戦争(当時の日本は大東亜戦争と言った)が開始された。12月11日はドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告、アメリカも両国に宣戦したので、これによってアメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦することになった。これまではヨーロッパ大陸と中国大陸での戦闘であったものがこれによって太平洋という広大な海域を戦場とする、戦艦、空母、航空機を駆使した海上の機動力が帰趨を決する戦争へと変質した。
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当時この攻撃の反応を高める下準備としてアメリカにおいて執拗な反日キャンペーンが展開されていたことと、アメリカ陸軍長官によってアメリカを戦争へと引きずりこむ為に日本を利用したことが語られています。
またこのような情報もあります。
取り消された“トンキン湾決議”
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ところが、4年後、ジョンソンと対立して辞任した国務大臣マクナマラは、このトンキン湾事件がでっち上げ出ることを告白した。当時北ベトナムは魚雷艇を装備していなかったし、大統領が議会に提出した決議文の原案は5日よりも前に作成されたものであったことが明らかになった。1970年、このトンキン湾決議は取り消された。
ドキュメンタリー映画『フォッグオブウォー』では、時の国防長官マクナマラは8月2日の魚雷攻撃は確かに受けたが、4日にもう一度受けたというのは、ソナー探知係の誤認だったと述べている。ベトナム戦争の責任の所在を問われたマクナマラは、それは大統領にある、明確に答えた。翌年の北爆恒常化、海兵隊のダナン上陸については大統領に反対を具申したが、止められなかったのは自分にも責任がある、というのが彼の立場だった。
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当時北ベトナムは魚雷艇を装備していなかった、という衝撃的な事実がありますが、後にCIAが起こした偽旗作戦だったと自白する証言があったように記憶しています。
第一次世界大戦で戦争を引き起こしている本当の原因と背景を見定めていれば第二次世界大戦が起ることはなかったし、もしそこで見極めていればベトナム戦争が起こることはなかったし、またそこで分かっていたのなら9.11が起こることはなかったのでは、と思えます。
9.11
では9.11は一体どのような背景であったか、という疑問については文章よりも雄弁な非常によく分かる画像がありました。
また近年の事例としては、USAIDの資金によってこのクーデターが支援されていたことが明かされましたが、そもそも当時のアメリカ大統領がこのクーデターに関与していたとメディアで明言していました(下の引用参照)。これもまたアメリカによる偽旗作戦として分類されています。
マイダン革命
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首都キーウで勃発したウクライナ政府側とユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命することになった[40]。
新たな政権の発足(第一次ヤツェニュク政権)や2004年憲法の復活、数か月以内の臨時大統領選挙の実施など多くの成果をあげており、ウクライナの社会・政治に膨大な変化をもたらした[41]。なお、このクーデターに背後でアメリカが関与していたことを、当時のバラク・オバマ米大統領が明言している
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まとめ
近代ではあらゆる戦争が、常に争いを起こさせる為の工作によってなされてきたこと。それ主にある特定の背景の手先であるCIAによるものであったこと。
そして戦争の直接的な原因を作ることはもちろんのこと、その正当性。大義名分の確保ならびに湾岸戦争時、油にまみれた鳥の写真を使ったように大衆の心理操作として、主にメディアを使ったプロパガンダも同時に行われていたという視点も重要であることが以上のことからよく分かります。