先日から関税政策が始まりましたが、ちょっと意外なところでその効果を観測することができました。
それは今までトランプ大統領に批判的だった左派メディアが、いよいよ少し泣き言を言い始めたのが面白かったです。
余裕があるうちはまだあれこれ工夫して批判できるものの、いざ核心的な部分を奪われ取り上げられると、感情的な批判の色合いの方が強まるのだなということが分かりました。
関税政策のねらいとは?
二つ目に貼ったポストの最後の方に書いてある、株式の94%がアメリカ人のたった8%が保有しているという凄まじい偏りに驚愕しますが、ならば仮にそれが崩壊したとしても、ほとんどの人にはそこまでの影響が無いということの証では、と思えます。
むしろこの関税政策によってその偏りが解消される絶好のチャンスをトランプ大統領が切り開いてくれたのでは、と。
みんな何に使っていいか分からないくらいのお金持ちになるよ! と以前言っていたのはこのことと関係しているかもしれません。
それにこの関税は一見荒療治に見えますが、金融崩壊コースよりはよっぽどましな状態を保っているのではと。
物と価値のバランス再考の時
例えば、農家の人が一生懸命その農作物で、多くの人の食を満たす。
大体ご高齢までやっているからその期間たるや相当なもので、まさに国を支えていると言っても言い過ぎではなく。
あるいは生活を維持しより豊かにする、何らかの製品を作る製造業やサービス業。インフラ従事者としても、そんな人たちが一生分働いた金額をたったの数分で稼ぎ出してしまう。
結局数字をどこからか、どこかへと移動させているだけの基本的に何も生み出さない虚業のようなものと、同じ価値なのだろうかと。
いよいよ現代は物や労働に対する価値の付け方の根本的な間違いが、時代が進むごとにより深刻な極地にまで達してしまい、いつ何時これが何かのきっかけで崩壊するかのような非常に危うい状況であるように見えます。
土地とか債権とか株。税金。金融商品。価値の変動によって、実利を生み出す業種の先祖代々の土地であったとしても簡単に取り上げられてしまう。
多くの人の実生活と密接に関わる多くの人にとって重要かつ不可欠な実利のある産業が、そういった架空の資産をやりとりするだけの膨大な数字のマネーゲームのダイナミズムの中で圧殺されることは非常に不健全で、新しい時代には決してもちこめないものの筆頭ではと。
トランプ大統領がやろうとしていることが、こういったことの解決まで見越していての一手だとしたら、まさに人類解放という言葉ほど適したものはないのではと思えます。
日本にもDOGEを!
アメリカ政府効率省 ライブトラッカー
DOGEに関する記事で時々イーロンさんがぽろっと、どのように不正を暴いたのか等の技術的なこぼれ話があるのが面白かったのですが、さすがコンピューターの申し子みたいな人物なので、部下に出す支持も的確かつ迅速なのではと予想されます。
しかしこれをアメリカだけにとどめておくのは非常にもったいないというか、このノウハウを他の国でも流用できるのではないかという意見を目にします。
あるいはもっと小さな単位の組織でも腐敗、汚職を暴き出す方法論は同じではないだろうかと思えるし、また後々これがツール化した場合、組織不正の検知システムまで発展する可能性まで秘めているとればその潜在的な可能性は凄いことではと。
沼地には何も建たない
「誠意」「果断」「透明性」という言葉とは程遠い日本政治の場合はどうすれば浄化できるか、いつも同じ結論に達するのが、今の政府を排除しないことにはどんなに良いものであってもその力は発揮できないということで、地盤が緩く水浸しの沼地には何も建物が建てられないことと同じではと。
日本人でもないのに、日本人の代表顔をして日本人から必要以上の税金をむしり取る、今の株式会社日本はどこまでも国民を重税と暴言で挑発し敵愾心を煽っているように見えますが、一般国民とは一切関わらず、一切何の協力も得られずに生活できる訳がないことをすっかり忘れてしまっているように見えます。
普段食べるものは誰が作っているのか。着ている服は。乗っている車は。その道路は誰が作ったのか。日頃利用しているサービス業は何だろうか。治安や災害から守っているのは?
そういった社会を支えている人らは、腐敗政治家と断絶された別世界にいる存在ではないのではと。
高額納税者こそが一番国に貢献していると言った正気を疑う発言をしていた人物がかつていましたが、ならば試しに高額納税者だけを集めた孤島で、それらの労働リソースだけで生活してみればいいのではと思ったことを思い出します。
財務省解体デモの動画を色々見ましたが、どれも結構生々しい怒りに満ちていました。
今はまだ理性的に大分抑えたもののありましたが、寄生相手を追い詰めることもあんまり度が過ぎると、どこかみたく町中が回収されないゴミで溢れるくらいならまだマシな方で、何らかのことで多勢に無勢の単純な原則を深刻な代償として支払うことになるので、はやく決断した方が身の為ではと。
多勢に無勢の恐ろしさのもうひとつの側面としては、やはり集合知という強みは無視できない最強のものと個人的に思っているのですが、これは複数の人間の思考が同時並行でひとつの問題解決というゴールに向かっていく量子的な動きとも似ています。
そうなれば確実に何らかの突破口を見つけ出すので、たかだか少数の。
それも自分たちの利益しか眼中にない連中のスロウな頭では対策しきれない方法を見つけ出すのは時間の問題に思えます。