ポップコーン・マインドとは?
映画などでもあまりのめり込み過ぎるとまるでその映画の登場人物になったかのような錯覚に陥る時があるかと思いますが、ともするとシリアスになり過ぎてしまう。
もちろんそういった感情移入しながら見る楽しみはあれども、その間もやはりどこか客観的な視点。メタ的に冷静に物事を見ている自分がいることも気が付いている筈です。
入れ込んで見るか、メタ的な視点から見るか。どっちに比重が傾いているかは人それぞれとして、離れ過ぎず没入し過ぎない。適度に肩の力を抜いて楽しんで見る感じが一番良いのではと思っています。
あまり感情的になるとそれに感化される人もいるだろうし、特にネガティブの方は巻き込む力が強いので、そういう時も何割かはこの精神を持って、発信する時はちょっと芝居じみた感じでやるのが丁度いいような感じではと、この数年間でその丁度いい距離感が分かってきたような気もしています。
そんな戒めという程ではないものの、つい忘れがちなこの最初の原点の精神を忘れない為、大きなポップコーンをこのブログのヘッダーに据えています(そう、落書きみたいな能天気な絵に見えてこんなに深淵な考えが根底にあったのです)
しかしこと日本に関しては、どうせ映画だからみたいなメタ的な視点の立場のままでいると、あまり物事が前に進まないように感じることが頻繁にあったので、出来る限りの範囲で問題の指摘やあえて強めの突っ込みをしていましたが、それでもどうにもやっぱり進展が遅く感じます。
これはつまり時がこない限り大きな動きはない、ということかもしれないと考えたところでこれからも適度に見つつ、適度に突っ込みを入れていこうと思っています。
映画を楽しむ様なスタンス
映画で人が死ぬのか? 映画で凶悪犯罪が増えるのか? 映画で次々増税が決まるのか? 映画で自然が破壊されるのか?
と言われたら何も言い返せないですが、2.0になっている人物然り、ズボンが前後逆になっている政治家ら然り、ある種こんな無茶苦茶で馬鹿馬鹿しいことが永遠に続くとは思っていないので、映画の登場人物の見事な判断・行動を賞賛したり、うっかりミスや間抜けな言動や行動にちょっと文句を言うようなスタンスでいるとストレスもあまりないのではと思えます。
そんなところで、相手の出方にあわせた批判レベルの調整はひとつの面白みを提供してくれるかもしれませんが、最初は優しく段々強く。が基本としてもあまりカリカリすると体に毒なので自分の為にも適度に相手の良いところはちゃんと是々非々で認めるようにした方がストレスは減るのでないかと思っています。
個人的にはそこそこの批判レベルの維持が丁度いいのではと思っていますが、批判と賞賛の落差とコントラストが大きい方がより効果的に見えるような気もします。
参考例 批判レベルの調整
・強すぎる批判レベル
そんなに何度も禿頭を見せられても…… 石破ハゲルか?
石破首相“インドからアフリカを1つの経済圏”構想打ち出す TICADきょう開幕
・やっぱり強すぎる批判レベル
ビルとゲル 次にこの名前を見る時は逮捕か死去という文字と一緒にお願いします
石破茂総理 ビル.ゲイツ 財団に 810億円 支援 29兆円の資産の有る ビル.ゲイツに 支援 おかしくないか
・そこそこの批判レベル
・優しめの批判レベル
・おそらく最も攻めたかなりギリギリの最強批判レベル(どの画像かは指摘しません)